終身刑に苦しむ「つながれた犬」

それは日常的な光景です――交通のはげしい路傍で汚れたプラスチックの小屋につながれ、排気ガスを吸い込んでいる犬、騒々しい道端で金属の箱に閉じ込められた犬、建設器材置き場の裏手で、動いている重機に押しつぶされまいとガレキの中にうずくまる犬、空き地や裕福な農家の裏で、雨や雪にさらされ、灼熱の太陽を浴びるもの。塀ぎわの狭い通路につながれた犬が燃料タンクとか自転車、がらくた家具などにはさまれ、エアコン室外機の熱風にさらされていても、飼い主家族は室内で「涼しい顔」。こんな哀れな犬が日本中にあふれ、苦しみ、死んでいくのです――顧みられず、無視された「物体」として。

しかし、人々は、このような飼育法を残酷とは思わず、それどころか、正常とみなしています。犬を、自分たちと同じように、極端な暑さ、寒さ、雨、のどの渇き、飢え、不快さを感じる生き物だとは考えていないのです。飼い始めた頃は、冒険好きで、人なつっこく甘えたり、遊んでほしいとせがむフワフワした子犬が、成長に伴ない、たちまち、ストレス発散のために吠え続ける精神分裂症的な半野生動物と化し、または、生気のない、抑うつ状態の「物体」となってしまいます。彼らの目をのぞき込み、その体躯を見てごらんなさい――正常なあるべき姿とはほど遠い「ぬけがら」のようで、すでに死んだも同然ではありませんか。

アークの犬をほしいと希望される方に当方が求める条件のひとつは、絶対に「つないで飼わない」ということ。犬を惨めな境遇から救出したとしても、その先に、鎖につながれる不幸な生活が待っているのであれば、私どもの努力は無駄になってしまうのです。その上、日本では、犬はリードをつけて散歩させるのが普通で、公園などの広いスペースを自由に走れないため、なおさら、家の裏庭とか敷地内で存分に駆け回ることが必要だと言えます。

犬は家族の一員として扱い、室内で飼育し、庭にも出られるのが理想です。外で飼う場合も、頑丈で、高さのあるフェンスで囲んだ広いスペースに放し、屋根つきの小屋は暖かく、全天候型でなければなりません。夏には十分な日陰があり、冬には日差しが確保できること。また、家族や他の人たちに出会ったり、ふれあう機会が持てるように気をつけます。もちろん、いつでも清潔な水が飲めて、(噛んで遊ぶ)オモチャなども用意しておきます。そんなことは当たり前だと思われるでしょ
うが、実は、このような基本をおろそかにする飼い主があまりにも多いのです。

野良犬を助けて新しい飼い主をさがす活動にかかわる多数の人たち、グループ、団体の言い分は決まっています――「犬をつなぐことを認めなければ、里親は見つかりませんよ」と。最初の頃は、アークのスタッフの中にも、同じ考えの人がいました。しかし、この条件にこだわることで、人々が今までの考えを変えて「つなぐこと」は残酷だと理解するようになったと確信します。その結果、私どもの犬は(つなぎ飼いをしない)素晴らしい家庭にもらわれて行きました。家族の一員として自由を許す覚悟がない限り、アークの犬の里親にはなれない――実に単純明快ではありませんか。

先に述べた人たちやグループの多くが、時間的、空間的、その他の必要に迫られて、保護された動物の「里親さがし」を急ぐあまりに、新しい家庭で犬がつながれることになるのを知りながらも、「里親が見つかった」と喜ぶのは遺憾なことです。しかも、残念ながら、当の世話人自身が犬をつないで飼っていたりするのです。私ども動物愛護に携わる者は、一定の高い飼育基準を設け、誰もがそれを守るように要求すべきで、こちらの基準を下げて一般のレベルにまで落とさないことが重要なのです。「つながない方針」の厳守に確信を持てない方は、「つなぎ飼い」が犬に及ぼす多大な害と悪影響についてHSUS(米国ヒューメーン・ソサエティ)が挙げている論拠(下記 犬をつないで飼うこと」の問題点を考える――米国に見る「つなぎ飼い」規制の動きから)を参考になさって下さい。(米国の病院では犬の噛傷の治療を受けにくる人達の半数以上は繋ぎ飼いをしている犬によって噛まれています。)
資料引用:ANIMAL PEOPLE